「人を信頼すること」をなおざりにして「人は信用できないもの」という前提に、まるで便利の刀で道徳を切り捨てるようなものだ。科学は便利の乗り物に成り下がったのか。便利な仕組みを工夫することはスバラシいことだが工夫なしに便利を享受してしまうことはほんとに恐ろしいと思う。工夫の必要のないものには愛着は決して湧いてこない。だからモノを祖末に扱うようになる。みんながそうなるとどうなるの?もうなってる?この電車には最近猛烈に愛着がわいてきた。
とはいうものの、遅れるのだけはなんとかならないものか。5分10分はあたりまえ、線路が壊れたので一時間遅れます〜なんて平気でアナウンス入れて、急にホーム変えたりして、しかもそれって跨線橋渡って向こう側?渡りきったらもう出たあと‥とか、しょっちゅう。それでもみんなおとなしく待ってる。ひたすら待ってる。イライラしてない。