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中に乗ってれば尋常じゃない音。で、大きな駅だとあっちこっちのドアがバタンバタンだからたまったもんじゃない。でも音はすごいけど振動はほとんど感じないし、ドア自体もびくともしてそうにない。ヒンジやドアノブはとても無骨でお世辞にもスマートとは言えないが頑丈さはピカ一だ。壊れないから使える、使えるから新しいのは要らない、これが国民性というものか。不思議に毎日乗ってるとこれでもいいかと思えて来て、かえって何でもピカピカ、壊れたらハイさようならの今の日本よりよほどたくましくも思えて来た。家から大学までは一駅で5分の区間だから検札にはほとんど来ない。 | ![]() |
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で、学生に聞いてみたらほとんど切符を買わないらしい。(こちらには厳格な改札という概念がない、チューブにはあり)万一来たら学割は効かないけどその場で切符を買うのだとか。まあもちろんずるいことはずるいけれど許されることと許されないことのすき間を決まりに頼るのではなくて個人個人の分別と配慮で埋めたり広げたりする余裕が感じられて、たくましく生きるためには工夫が必要とされる社会はそれぞれに責任感が感じられて悪くない。決まり事にも幅があるからダメなら変えようと思えるんじゃないだろうか、民主的に。決まってるからダメ、理由なし、なんて言うのは死んでるのも同じことなんだろうな。少し居心地がよくなってきたぞ、この国。 そんなことはさておき、古いだけあってか各所に木材が使われていてじっくり見ればみるほど味がでてくる。この消火器(使えるのかな?)の留め金、かなり欲しい。ブラケットが木なんてほんとに21世紀か。そういえばこないだ乗り合わせた日本人のテレビクルー4人がしゃべってて、ディレクターっぽい30半ばのよくしゃべる女が「手動」ドアを「21世紀とはとてもおもえないよね〜」なんて言ってたけど「21世紀」らしさって何だ?もう2002年だけど |
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キューブリックみたいな世界にはなってないし、アトムだってほんとは1984年生まれだ(違ったかな?)。(後日談:違った)モノの姿がなにもかも未来っぽくなって行くことが「21世紀」化することなら簡単なことだ。「手動ドア」だって「燃えるバス」だって2002年の秋に活躍してる。手動ドアだってよくよく考えてみればこの寒い国で全部の駅で全部の扉を自動でウィ〜ンなんて開けてたら寒くてしようがないだろうしきっとみんな怒り出すだろう、降りたいやつだけ降りろって。そう考えると「手動」はとても合理的だし経済的だし、ん?合理的とか経済的とかは21世紀にめざしてる主要なキーワードじゃなかったっけ?これぞ21世紀!ずっとこのまま手動ならいいのに。これが日本ならきっと「扉近くの乗客のIC付き切符から発信される信号から自動的に判断して降りる乗客のいる扉だけを開ける」とかなんとかいうハイテクを考えてみんなで大騒ぎするんだろうな。無駄な金使ってどんどん人間が「便利の奴隷」になっていくんだ、きっと。近頃話題のユビキタス社会(ユビキタスについてはここ/こんなことを考えてる人がいる)では生鮮食料にもチップを埋め込んで生産者や加工者、流通を管理するらしい。チップも食えるのか?そんなに人が信用できないのか。 |
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「人を信頼すること」をなおざりにして「人は信用できないもの」という前提に、まるで便利の刀で道徳を切り捨てるようなものだ。科学は便利の乗り物に成り下がったのか。便利な仕組みを工夫することはスバラシいことだが工夫なしに便利を享受してしまうことはほんとに恐ろしいと思う。工夫の必要のないものには愛着は決して湧いてこない。だからモノを祖末に扱うようになる。みんながそうなるとどうなるの?もうなってる?この電車には最近猛烈に愛着がわいてきた。 ![]() |
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まあ秒の単位で正確に行き来してる日本のほうがスゴイのかも知れないけどいくらなんでもね。だから時刻表はほとんど意味をなさない。たいそうにいついつ改訂なんてかいてあるけど誰も見てない。そりゃそうか。これも既に二分遅れてる。結局27分遅れで来た。20分に1本くらいの割合いで来る「はず」なのに‥![]() |
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![]() (→)比較的新しい町に向かっていつもと違う路線では検札に来たうえにスタンプまで。滅多にないけどね。ほんの3駅20分ほどの距離なんだけどね、切符買っといてよかった。 |
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