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あかい、水のかたち 入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)

漆という物質に魅せられるのは、私の記憶の中に組み込まれている感覚のせいだろうと思う。 まるで水のように濡れている表面をもつ場合も、使いこまれてマットな肌合いをしている場合でも、漆には肌を寄せていきたい魅力を感じてきた。 土岐謙次の立体が、水をまとっているように光を放っていたのを見て、思わず引き寄せられた。大きな立体だった。赤と黒。軽やかに壁に取りつけられていたり、立てかけてあった。 アトリエではじめて、手にとって触ってみた。黒のベースに赤の図像が隆起しているものがある。琴のようなフォルムや、スプーンのフォルム。その赤は漆だが、母胎の黒い部分はカーボンファイバーで、粗い布目をしている。化学合成素材と漆をいかにして融合させるかに腐心している。相反するかに見える素材をめぐっての葛藤と執着を、土岐は、彼自身の体液のような透明な水の膜で包んでいる。 漆は東アジアに固有なものだが、日本特産とよびたいほど何千年も前から使われてきた。樹木から出る液を、からだごとで、長い時間をかけて対象物にうつしていく。塗る、擦り込む、馴染ませるなど、手を介した時間が続く。気温や湿度が重要な要素になるが、なぜこうした溶解しにくい物質とつきあいつづけてきたのか。それは湿り気を必要として、堅牢になるという物質の不可思議さによるのではないか。この国は水の国、湿度の国だからだ。ほとんどのものが湿度によって風化していくなかで、湿度によって堅牢になる物質をみつけた私たちの祖先。そして色合いが「水」のようにあらわれてくるという物質は類を見ない。 土岐の作品は、時として室外で展示されることもある。戸外の光や風がしずくが作品に映り込む。赤い曲面に風景は色になって流れてくる。 土岐自身が語ったことばの中に、漆へのアンビバレンツな感情があった。漆という素材を用いただけで、伝統と工芸ということばもついてまわるという意味の葛藤だったように思う。 カーボンファイバーという素材と格闘していることにも複雑な感情を抱いているようだったが、私には「あか」と「水」が際立った作品として、真っ直ぐ飛びこんできた。水のような作品は、そう多くはない。そこに水があり、水が空間でゆらめいているさまを想像するだけで、たゆたうもの、流れるもののよろこばしさがうまれてくる。流れに反射する光と、圧倒的な軽さと堅牢さも今までにはなかった。 土岐は若く、京都生まれの作家である。コンピュータ世代の作家でもあり、メカニックが好きなプロフィールをもつ。何気ないプロフィールが、見えない呪縛となって、作品に二つの方向を持たせているような気がした。同じかたちを並列させて、流れやリズムを感じさせる抽象形態の作品群と、皿やスプーンや琴や撥をモチーフに、そのベースに高度な精度をもった工業製品素材を設えて、伝統のかたちに挑もうとする流れだが、私の私的な感応は「水」や「あか」が発してくる、飛翔や風のかたちの、透明なのにおぼろな景色に向かっていく。

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