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「神のまだ死んでいない日に一一栗本夏樹の漆造形一一井上明彦」より抜粋
小清水漸・栗本夏樹展「現代の造形・かたちといろ」
西宮市大谷記念美術館 1994 図録より抜粋


数年前、京都市美術館での現代工芸作家選抜展の会場で、現代彫刻を専門とするオランダの クレラー=ミュラー美術館の女性学芸員から、「キッチュね」と言われたことがある。私自 身が学芸員として陳列にたずさわった京都のベテラン工芸作家たちの漆や金工、木竹工の作 品を前にしてのことだった。そこには、器物や調度品と共に、工芸素材を用いながら、機能 を排してオプジェ然とした立体造形や抽象絵画じみた屏風が並んでいた。日本でなら、「工 芸素材を用いた現代的造形」とあいまいに呼ばれるであろうそれらの作品を、いともたやす く「キッチュ」と呼ぴ捨てる彼女の態度に、私は言葉が出なかった。腹立たしかったからで はない。むしろ、個性的造形を競い合う西洋近代芸術に対する日本近代の「美術工芸」(奇 妙な青葉だ)の湿ったコンプレックスを端的に指摘されて、赤面する思いだったのだ。キッ チュとは、創造された当初の形態を矮小化したもの、つまりは「真正なる芸術」を大衆向け に受け入れやすくした「まがいもの」である。たしかに、素林の白然に寄り添う日本の工芸 的伝統を中途半端に引きずりながら、置物的な納まりで西洋の抽象彫刻やオプジェをまねて 「芸術」を衒うような混ぜ物造形は、西洋的観点からすれば、「真正ならざるもの」と呼ば れてもしかたあるまい。だがそこには、近代日本における「芸術」なるものの成立にかかわ るもっと大きな問題が横たわっているように思われる。    周知のように、西洋では、絵画・彫刻に代表される「美術(fine arts)」と、陶芸や木工 芸、染織などの「工芸(craft)」は、厳然たる価値の上下関係に置かれている。後者は、 「応用芸術(applied arts)」とか「装飾芸術(arts d姉ratifs )」などと呼ばれ、職人 (artisan)による手わざ主体の技術として、芸術家(artist)の精神の創造的営みである前 者より低く見られる。工芸は美術に比して素林や技術の側面の占める比重が大きく、実用性に よって主体の自由な創造活動が制約されるので、美的・芸術的価値が劣るというわけだ。だ が、西洋でもルネサンス以前は、絵画や彫刻、家具や武具装飾を間わず、物質的材料を手で扱 わざるを得ない造形芸術一般は、身体的熟練を要する「機械的技術(mechanical arts)」と して、詩や音楽、天文学などの「自由学芸(liberal arts)」より低く見られてきた。アルベ ルティやレオナルドらルネサンス期の芸術家たちは、幾何学や遠近法、解剖学などの知的・精 神的側面を強調することによって、絵画・彫刻を自由学芸の地位に昇進させることに貢献し、 近代的な芸術観の土台を築いた。われわれの受け入れている芸術観は、いうなればこの人文主 義的伝統の土台の上に、個人的主観の自由な活動を重視するロマン主義的観念が重なって成立 している。もっとも、絵画などがつねに職人的技術より上に置かれてきたかというとそうでも ない。例えば、模倣的技術の序列をイデアからの距たりによって語るプラトンは、寝台のイデ アを模倣して寝台を制作する職人の方が、すでに制作された寝台をあらためて模倣する画家よ りも上位にあるとした。家具職人の方が、家具の絵を描く画家より上だというわけであり、近 代とは逆に、モノの見かけだけにかかわる絵画は、諸芸術の中でもっとも低い地位 に置かれた のである。別な観点からいえば、絵画にしても、画材制作が産業化される以前は、絵具やパネ ル・筆の制作など工芸的な側面が大きく、あらゆる造形芸術が工芸であったともいえる。もと もと近代以前は美術と工芸の区別は明確ではなく、「工芸」の概念自体、近代的な「美術」の 概念から差別される形で相関的に成立してきたのである。さらに両者がはっきりと区別 される 近代以降においては、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動や世紀末のアール・ヌー ヴォー、あるいはゴーガンらの仕事に見られるように、工芸的なものや装飾の復権が主張され る場合、それらは多かれ少なかれ、生活世界との連関を断ち切った個人主義的な自己表現とし ての近代芸術への批判と結ぴついている。バウハウスの初期の総合造形志向が工芸的側面 の優 位を示したことも、同じ文脈で語れるだろう。    しかし総体としてみれぱ、それらはむしろ西洋の芸術思想史上の興味深いエピソードにとど まる。欧米では、今日でも工芸素材を用いた造形が概して低い地位しか与えられないことから もわかるように、西洋近代を支配しているのは、明らかに絵画・彫刻を優位 とする芸術観であ る。染織分野におけるファイバー.アート、陶芸分野におけるクレイ・ワークなど、日本のい わゆる「前衛工芸」は国際的な舞台でも高く評価されているが、それらの評価が、絵画・彫刻 を主流とする欧米の「現代美術」のフィールドで、他のメディアと対等な次元にあるとはいい がたい。あくまでも素林別ないしメディア別の分野にかぎっての評価なのであり、「前衛工 芸」は「現代美術」に対して二次的でマイナーな下位領域に置かれている。というのも、面 洋 の基準からすれば、単に工芸品から実用性を排しただけでは、「芸術」としての価値を認める ことが困難だからだ。西洋人たちは言うだろう、それらは素材や技法が目について、作者の芸 術的意図が見えてこない場合が多い、だから”cfaft”のレッテルを貼るしかないと。あるいは またこうも言うだろう、素材や技術のプロセスの童視は主体の自由を損ない、装飾性は表現内 容を薄め、実用性は審美的な純粋性を濁らせると。いや、そう言うのは西洋の人々だけではな い。わが国の美術関係者の多くもそのような芸術観のもとにある。例えば、現代美術作品の評 価において、「工芸的」とか「装飾的」とかいう形容は、多くの場合、「表現内容の奥行きの 無さ」や「技術的細部への拘泥」を示唆する否定的意味合いで用いられる。また、伝統的なも のから実験的なものまで、わが国の工芸は、絵画や彫刻以上に裾野の広がりと歴史の厚みを持 つが、それにまともに取り組む研究者や美術館の数は、絵画などの場合に比べて驚くほど少な い。最近開かれたあるシンポジウム会場で、某公立美術館長が「現代美術は大きいものでなけ ればならない」などと平然と言い放つように、われわれの芸術を見る物差しは、今もほとんど 欧米のそれなのである。そしてこの物差しで測られるかぎり、アジアやアフリカなどの非西洋 圏の造形と同様に、絵画・彫刻以外のメディアや「工芸」は、「芸術」の辺境に置かれるだろ う。近代日本におlナる「工芸」概念は、おおよそ明治20年代以降、「美術」の概念が絵画・彫 刻を中心として制度化されていくのと並行して形成されたものである。そのいわゆる「美術工 芸」は、たえず「美術」に接近して産業から自己を区別しつつ、同時に「用と美」という対立 概念を介して「美術」からの距離を測り続けてきた。工芸作品は、それを使用する手や身体に かかわる機能性を存在理由としながら、視覚的な鑑賞に向けられる審美性を有している。だ が、この両者が厳然と区別されず、一定の自然観や世界観を介して美的側面 が機能的側面と重 なり合っている点が、装飾性の強い日本的伝統の特質であった。近代の「工芸」が形成される 過程で不可避的にはらみこんだ「用と美」という二つの極の対立とは、西洋近代の芸術概念の 移植によって生まれた理念的所産にほかならない。したがって厳密に言えば、「工芸」の概念 的定義は「美術」との関係においてでしか可能ではないのである。実際、日本の近代工芸は、 従来の因習的・集団的技術からの個人的技術=表現の自立という美術的文脈で自らの定義をは かってきたが、その具体的な方策とは、何よりも公的な展覧会制度の確立であった。というの も、近代美術の存在様態を条件づけているのは、何よりも展覧会システムだからである。展覧 会は、作品を現実空間との機能連関から切り離してその視覚的側面のみを排他的に強調し、実 用的関心から離れた美的な体験と言説の場を公的に構成する。展覧会によってその生産と消費 を条件づけられるかぎり、近代の芸術とは、あらかじめ展示性を内在させた造形物の制作と展 示のシステムであるほかない。日本を含め、非西洋圏の文化においては、このシステムによっ て土着的ないし伝統的な造形術・造像術を再編していくことが近代化といわれるプロセスで あった。いいかえれば、公的な制度となった展覧会システムに参与できるか否かが近代性の試 金石ともなったのである。周知のように、日本近代の美術観を確立するのに大きな役割を果 た した文展(文部省美術展覧会)とそれを引き継いだ帝展(帝国美術院展覧会)は、はじめ日本 画・洋画・彫刻の三部門からなり、工芸は除外されていた。当時、工芸のための官営の展覧会 は、産業志向の強いいわゆる農展(農商務省工芸展覧会、のち商工展)だけであった。工芸家 たちは、工芸を近代美術としての地位に押し上げるべく、大正末頃から帝展に工芸部門を開設 することを求めて示威運動を繰り広げ、昭和2年(1927)、ついに帝展第4部に美術工芸部門 が設置された。これによって工芸は絵画・彫刻と同等の近代美術として自己を規定し直したわ けだが、それはまた工芸を展覧会芸術とすることの矛盾を増大させ、工芸界にさまざまな分裂 と対立をもたらす契機になった。戦後、西洋人から「キッチュ」と呼ばれるような工芸的オプ ジェが生まれてくるのも、近代工芸において肥大化した審美的側面と機能的側面 の矛盾の中か らである。いうまでもなく、この矛盾はまた、ほとんど一方的な西洋化によって伝統的な美学 と技術を切り崩してきた日本の近代文化そのものの予盾にほかならない。

 

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